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縄文時代、弥生時代、何が違う?と聞かれて、あなたはなんと答えますか?

縄文と弥生時代

土器と稲作。そう、大正解です!
 
もしかしたら私たちのおじいちゃんかおばあちゃんだったかもしれない縄文、弥生の人々

土器や稲作の始まりだけでない、その時代を生きて暮らしていたあれこれの違いを比較してみました。
 

あ、ここ、遺伝子感じるわぁ、となるかもしれませんね!


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縄文時代と弥生時代の違いを超簡単に説明

やはりなんといっても、縄文、弥生の名前に代表される通り、まずは土器の違いが挙げられます。

縄目模様で分厚く黒褐色のものが多かった『縄文土器』と、直線や幾何学模様へと変化し、薄手になった赤褐色の『弥生土器』ですね。


それから、狩りや採集中心の生活から、農耕生活への変化。
このふたつは二つの時代を分ける上で、重大な分岐点です。


では、この違いにより、二つの時代はどう変わっていったのでしょう。

まずは『縄文』『弥生』それぞれの時代を振り返りつつ、詳しく見ていきましょう。


縄文時代とは?

旧石器時代、と呼ばれる時代の人たちは、獲物を求め、テントのような場所で生活しつつ、移動を繰り返していました。

土器登場後の縄文時代は、というと、『竪穴式住居』が登場します。地面に穴を掘り、そこに何本かの柱を立て、その上に屋根をかぶせた、半地下の家です。


狩りや漁のしやすい場所を求め移動し、気に入った場所で住居を作り、そこで集落ができていったわけです。

彼らはとてもエコで、家族や仲間と共に力を合わせ、自然を大切に、感謝しながらの生活を送っていたようです。

1887年に東京の大森で発見された貝塚(大森貝塚)が、それを証明してくれています。


貝塚には、ただ単に捨てられたとはとても思えないような、丁寧に並べられた貝殻が置かれており、自分たちに豊かな恵みを与えてくれた食料に対する感謝の気持ちが、そこからは伺えます。

また、土器や多数の人骨も現れ、今まで使っていた道具や、大切な人々のお墓としても機能していたのではないか、と言われています。


主な食料の一つであった「ドングリ」にはアクがあり、土器はそのアク抜きに利用するため、発達していきます。堅果類が主食だったため、アク抜きはほんとに死活問題だったのかもしれませんね。

それまではそのまま食べていたドングリ。う~ん……土器に感謝ですね。

土器を使っての加熱も、食生活の向上に役立ちました。フライパンや鍋代わりですね。


その他にも、食料の保存。このことにより、獲物を追って移動を続ける生活から、一か所にとどまれる生活スタイルへと変わっていったのです。


狩りの武器は石器です。矢の先に石を削って小さく鋭く尖らせた石器を付け弓矢として使ったり、肉を削るナイフ、木を切り倒す石斧、木の実を擦ったり叩いたりするためのすり石や叩き石、また、動物の骨や角では、釣り針などが作られ、使われていました。


狩りのパートナーとして、犬もいました。

なんだか、マンガで見るような、The 原始人、を地で行く生活っぷりです。

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弥生時代とは?

厳密に言えば、縄文時代の後期と被る時期から始まる弥生時代。
あの有名な『卑弥呼』は、この時代の人ですね。


さて、朝鮮半島や中国大陸から移り住んできた人たちから伝えてもらった稲作の技術や、金属器の加工技術、そしてその使用により、時代はグン、と進んでいくこととなります。

農耕用具が木製から金属製に変わり、狩りに使う槍や剣にも金属が使われ、効率は格段にアップします。

けれど、それは戦いの道具、ともなりました。


水路を利用した稲作(水田稲作)の技術がもたらされ、安定した食料が得られるようになった弥生時代の人々は「高床式倉庫」を作ります。収穫した稲などを保管するものですね。

安定した食料が農耕によって常に確保できる状態になれば、もうそこにじっくりと腰を据えて住むことができます。そして当然人口は増え、集団で安住するムラやクニが作られていきました。


人が集団生活をするとなると必要となってくるのが、まとめ役や世話役、そう、リーダーの存在です。

敵の侵入を防ぐため、ムラ単位で柵を張り巡らせます。住居の周りにも堀を巡らせます。環濠集落、と呼ばれる形態です。

富める人と貧しい人との差もできてきます。それでも、安定した食料と安住できる環境のため、人口はますます増えていき……土地が足りなくなります。

土地を求め、そこで起こるのは争いでした。


縄文人と弥生人との戦いがあったという説に、今では否定的な意見も出てきているようです。

真偽のほどは定かではありませんが、守るものと身分の差があった弥生時代の人たちが、ある程度好戦的だったのは、間違いない事実かと思われます。


本当に縄文人 VS 弥生人の争いがあったのだとしたら、食生活、武器、また、お米づくりでの集団行動を知っている弥生人の圧倒的勝利となったことは、容易に想像できます。

縄文と弥生の違いの詳細&比較してみた


◆歴史にドキリ 縄文時代 弥生時代♪



なんとなく、弥生時代のイメージが殺伐としてきたかもしれません。

渡来人のもたらしてくれた色々な技術により大きく分けられたとも言える二つの時代ですが、では、もう少し具体的に『縄文』と『弥生』を比較していきたいと思います。


時期

  • 縄文時代:紀元前1万年頃~紀元前4世紀頃まで
  • 弥生時代:その後、紀元前3世紀後半まで

土器


  • 縄文土器:1877(明治10)年、東京大森の大森貝塚から発見。
  • 低温で焼かれ、厚手。黒褐色のものが多い。
  • 縄目の模様。
➡収穫したものの貯蔵 / 雨水を溜める / 煮炊き に主に使用

  • 弥生土器:1884(明治17)年、東京本郷の弥生町で発見。町名から命名。
  • ワラや稲を被せ、高温で蒸すようにして作られていて、硬く、薄手。赤褐色のものが多い。
  • 直線や幾何学模様。デザインは比較的シンプルに。
➡液体・食糧の保存 / 煮炊き / 食べ物の盛り付け用
 縄文時代より種類も豊富で、使い道ごとに分けられていました。


生活

縄文時代:狩猟、採取が中心(後期には農耕も)
主食はドングリやクルミなどの堅果類 。製粉してクッキーなども作っていました。雑炊やお粥にして食べることが多かったようです。

副食は地域差はあるものの魚介類中心。魚類は燻製にして貯蔵。

また、狩猟(シカやイノシシ)、採取(山からキノコなど)で得たものを食べ、余りは穴や屋根裏へ。

△身分の差なし。自然中心の生活でした。


弥生時代:水稲の栽培技術の伝来によりお米(の古代版、赤米)が登場。
けれど、生産性はそれほど高くはなく、足りない分は、縄文時代同様、ドングリなどで補っていました。

とはいえ、この時から日本人の主食=お米、が始まります。 

畑作(代表は麦類)も発達し、農耕時代が本格スタート。生活は豊かになります。

△集団で定住が基本となったため、ムラやクニができ、リーダーが現れます。よって、身分の差ができ、また、クニ同士の争いが起こり始めました。


有名な遺跡


縄文時代:青森 三内丸山遺跡
      鹿児島 上野原遺跡

弥生時代:静岡 登呂遺跡
      佐賀 吉野ヶ里遺跡

➡渡来人は朝鮮半島を経由地に、西日本から全国に散っていきました。
 遺跡の場所の違いに、その様子が伺えるような気がします。


縄文人・弥生人の見た目

顔の形

  • 縄文人:四角く、長方形 / 彫が深い
  • 弥生人:丸い、楕円形 / 彫は平坦


  • 縄文人:大きく、二重
  • 弥生人:小さく細い、一重


  • 縄文人:濃く、直線形
  • 弥生人:細く薄い、半円形


唇 / 鼻骨

  • 縄文人:厚い / 広く高い
  • 弥生人:薄い / 狭く低い


身長

  • 縄文人:低い。手足指は、細く長い。
  • 弥生人:高い。手足指は、太く短い
現代日本人の75%が、このふたつのDNAを併せ持つそうです。

これは、日本人固有のものと言われ、縄文人のDNAが混じっている、というのがその特徴となっているようです。(20%が純弥生系、5%が純縄文系)


75%もの人が同じDNAを持っているって、なんともすごいですね。


終わりに…

縄文時代と弥生時代、違いというより、むしろ流れを感じてしまいました。

どちらの時代がいいか、幸せだったか、の問題では最早なく、こういう時代の流れを経て、今の時代があるのですね。


古代すぎて(実際に)、遠い昔の物語のようですが、間違いなくルーツでもあります。

もしかしたら、今がいつかこんなふうに振り返られる時代が来るかも……来ないかもしれませんが、どうせならいい時代として残したていきたいものですね!


いかがでしたでしょう。二つの時代の違い、比較のお役に立てたでしょうか?


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