外国の方がナイフやフォークではなく、お箸を使ってラーメンを食べているのを見ると、なぜか旧友と再会したかのような懐かしさと照れ臭さを感じてしまいます。
オー、 デリシャス! なんて呟かれたら、肩を叩いて意味もなく「ナイス!」などと笑いかけてしまいそう……気をつけないとこれではまるで不審者……怖いです……
今やラーメンは日本のみならず海外でも「お寿司」とともに大人気。日本の食文化が海を越えて海外でも味覚と胃袋を満たしているのかと思うと、やっぱりニマニマが止まりません。
あれ? でも「中華そば」って、うちのお父さん、呼んでるけど?
っていうか、うちのばあちゃんに至っては「支那そば」だよ!?
パクリ? パクリなのに日本の食文化って、どーゆーこと! ちゃんと説明するか、全世界に向けて謝りなさいよ!
……説明の方でお願いします。
「ラーメン・中華そば・支那そば」の違い、関係、日本食問題について、ちゃんと解決いたします。
納得して許していただければ、幸いです!
目次
「ラーメン・中華そば・支那そば」の違いは何?
初めに結論を言ってしまうのは反則かとも思うのですが、実はこの3つ、同じ食べ物なのです。ですが「サッポロ一番 味噌支那そば」や「チキン 中華そば」「昔ながらの ラーメン」、などと既存のものと最後の部分を置き換えてみると……もの凄く違和感があります。
これは確かに聞き慣れていない気持ちの悪さでもあるのですが、やはりそれなりの意味もある違和感なのです。
まずは現在ラーメンと呼ばれているものが日本に伝わった当時を振り返ってみましょう。
元々は中国の麺料理であったラーメンは明治初期頃、初めて日本にやってきました。
横浜や長崎、神戸、函館の開国された港に作られた外国人のため居留地、今でいう「中華街」のようなものができます。当時は「中華街」ではなく「南京街」と呼ばれていました。そこで華僑の方たちが食べていた麺料理(ラーメン)が「南京そば」。「中国の麺」という意味で「南京そば」と呼ばれました。
そして明治中期、東京浅草の「来々軒」さんにより「南京そば」をルーツに持つ、鶏がらスープベースの麺料理が「支那そば」の名で日本人にも提供されることになります。作るのは横浜中華街から雇い入れた中国の料理人さんたちです。
これを皮切りにいくつものお店が誕生しますが、その名称のほとんどが「支那そば」。または中国名でそのまま「柳麺(ラオミン)」「老麺(ラオシェン)」「 拉麺(ラーミェン)」などと漢字表記されていました。
ですがもともとカツオ出汁ベースのスープになじみの深い日本人。
大正15年には「南京そば」ベースの鶏ガラ出汁での「塩味」から「醤油味」に変えてちょっとしたブームを巻き起こします。その立役者は北海道の「支那料理 竹家(当時は「竹家」という名の食堂)」といわれています。
さらに戦争が起きたことにより、ラーメンの「呼称事情」も、その他色々な「ラーメン事情」も次々と変化していくこととなります。
簡単に言いますと「支那そば」は「中華そば」と呼ばれるようになり、ついには「ラーメン」へと変化していくのですが、これは時代による変化、なのですね。
さて、ではその名称が変っていく時期を中心に、続いて「支那そば」「中華そば」「ラーメン」のそれぞれを見ていってみることにしましょう。
「支那そば」とは?「中華そば」との違いは?
♦昔の支那そばや ラーメンの鬼
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=i5VkO_6oZao&w=560&h=315]戦争が終わり、戦中よりはいくらかマシになったものの、食糧事情はまだまだ不安定だった昭和20年代、「中華そば」の呼び名は生まれます。
少しでも栄養のあるものを食べたい時代、「中華そばの栄養価」に注目が集まります。
当時「外食」と言えば「大衆食堂」か「蕎麦屋」。
そこで食堂や蕎麦屋では、蕎麦やうどんと同じ製麺所で作った「黄色い中華そば」に中華風アレンジを加えた蕎麦出汁をかけ「中華そば」として提供。
そして今まで「そば」=「日本蕎麦」だったものが、「そば」=「(栄養価の高い)中華そば」に取って代わられるようになるのです。
従来の「日本蕎麦」に対する「中華そば」のような区別からその呼称は誕生し、普及していきました。
また、屋台を引き、生活の糧とすることも多かった時代。
江戸時代から日本には、夜にそばを売り歩く「夜鷹(関西方面では夜鳴き)蕎麦」というものがありましたが、戦後中国大陸から引き揚げてきた人たちが屋台を引き「夜鷹蕎麦」ならぬ、その中華風のもの、というわけで「中華そば」を名乗り、そこからその呼称が普及していった、とも言われています。
この時代のメインは醤油味。
「南京そば」の流れをくむ「元祖支那そば」が日本人に合うよう改良された後の味がベースです。
そしてもう一つ。
「支那」という単語を使うことを自粛するよう、戦勝国「中国」から要請があったことも「支那そば」が「中華そば」へと呼び名を変えていく一つの要因となりました。
「支那」という言葉は中国の人からすれば、ちょっと嫌な感じの言葉なのですね。戦時中、日本が当時「中華民国」だった中国を蔑みそう呼んでいたからだ、とされています。少なくとも当時の中国からは自粛を頼まれたのです。
現在でも「支那そば」としてラーメンを提供するお店や、ラーメンのことを支那そばという方もおられますが、当時と今は事情が違います。
決して侮蔑を込めて「支那そば」と言っているのではなく、純粋に思い出の味が当時の「支那そば」だった方や、単にその地域でラーメンが普及した時代の呼び名がそうであったり、お店のオープン当時、最も普及していた呼び名だった、などが理由です。なじみ深い、昔を思い出させてくれる呼び名なのですね。
- 「南京そば」をルーツに持つ鶏がらスープで塩味の「元祖支那そば」が、
→ 日本人の好みに合わせた醬油味の「改良版的・支那そば」になり、
→ 戦後の食糧難により、食堂や蕎麦屋でも栄養価の高い中華そばに人気が集まり、
→ 元々あった「日本蕎麦」と区別するため「中華そば」の呼称が定着。 - また江戸時代からあった「夜鷹(夜鳴き)蕎麦」の中国風バージョンとして、
→ 大陸からの引揚者などを中心に「中華そば」の屋台からも普及。 - 「支那」の言葉を使わないように中国から要請あり
→ じゃ「中華そば」の名称でいこう!
「ラーメン」とは?「支那そば」「中華そば」との違いはココ!?
日本人好みのラーメンとして「南京そば」から「支那そば」「改良版的・支那そば」「中華そば」と普及していた時代、本場の中華料理店、というのも高級店の扱いで存在していました。今でいう、ちょっとお高めのフランス料理店のような位置づけでしょうか、一部のお金持ちしか利用できないような高級料理だったのですね。
しかし、戦後の混乱や食糧難などの苦境から徐々に立ち直り始めた日本。この頃になると、中華料理を作れる日本の料理人たちが、こぞって「日本風中華料理」を生み出していきます。値段も安価。高級な本場の中華料理店ではなく、大衆的な中華料理店が増え始めます。
もちろん大衆食堂や蕎麦屋でもこれまで通りの「中華そば」を提供。
その「中華そば」と「日本風中華料理の中華そば」を区別するために生まれたのが、先ほども書きました「老麺(ラオシェン:中国語で『そば』の意味を持つ言葉)」「柳麺(ラオミン:大正時代の支那そば屋。柳さんという中国の方の店の屋号)」「 拉麺(ラーミェン:手で引き伸ばして麺を作る技法 のこと)」など、その漢字の発音に似せたこれらの呼称、もしくはひらがなで「らぁめん」でした。
カタカナ表記の「ラーメン」を初めて日本で使用したのは、かの有名な「チキンラーメン」、昭和33年のことです。日清食品さん、勇気あります。よくぞ思い切ってくれました!
また「カタカナ表記初」だけではなく「チキンラーメン」は、世界初の即席めん(インスタントラーメン)でもありました。
この「チキンラーメン」の販売、そして大ヒットから、カタカナでの「ラーメン」の驀進が始まるのです。
即席めんの誕生の後も、様々な種類のラーメンが生み出されます。
札幌の味噌ラーメンや、博多のとんこつラーメンなど、「中華そば」の作り方を基本としていますが、そこに独自の調理法やタレ、具材など、それぞれに特徴を出した、いわゆる「ご当地ラーメン」が登場し始めたのもこの頃です。
- 日本人の好みに合わせた「南京そば」をベースに持つ「支那そば」
→ 色々あって「中華そば」の呼称が主流に。 - 高級な本場の中華料理店でなく、日本の調理人の作った「大衆的な日本風中華料理店」が増え始め、大衆食堂や蕎麦屋で提供する今までの「中華そば」と区別するため → 「老麵」「柳麺」「拉麺」またはひらがなの「らぁめん」の呼称で定着。
- 世界初の即席めんの呼称に「チキン『ラーメン』」のカタカナ表記を使用 →「ラーメン」の呼称が広がり、同時に「中華そば」の作り方を基本とし、タレや調理法、具材などを様々にアレンジした「ご当地ラーメン」など、様々な種類の「ラーメン」が誕生
「ラーメン・中華そば・支那そば」はこうして呼び分けられている!!
このように、その地域で「ラーメンが普及したのはいつか(支那そばと呼ばれる時代にブームになったのか、中華そば全盛期に伝わった地域だったか、など)」により呼称が微妙に変わっているのです。また、仮に「支那そば」が呼称の主流の地域であっても「中華そば」と呼ばれ始めた頃(戦後)以降に開店したお店は「中華そば屋」を名乗る、など、同じ地域であっても、その呼称は統一されているわけではないのです。
そして「『中華そば』ならこの味で『ラーメン』だったらこんな味」という決まりがあるわけでもないのです。
ただ、例えば冒頭のおばあちゃまでしたら「わたしゃ支那そばが好き」というのなら「支那そばが伝わり始めた頃に、きっと美味しいラーメンと出会ったんだなぁ、多分、まだとんこつラーメンとか登場してない時代だから、あっさりしたラーメンの方が好みなんだろうなぁ」などと予想はできるかもしれませんね。
さてではここでもう一度、サラッと時代ごとの呼称等含めまして、3つの違いをおさらいしてみましょう。
○○そばは、いつやって来た?
-
◎明治初期頃: 南京そば
→ 開国された港にできた中国人街(南京街)で華僑の方などが食べていた中国の麺料理
- 「高級中華料理店」ではなく日本の料理人による「大衆中華料理店」続々オープン → 大衆食堂や蕎麦屋の「中華そば」との区別のため「老麺・柳麺・らぁめん」などの呼称に
- 世界初の即席めん「チキンラーメン」が「カタカナ表記も初」で発売、大ヒットと共に「ラーメン」の呼称が広がる
→「中華そば」の作り方ベースで、色々な具材や調理法、タレなどに工夫を凝らした「ご当地ラーメン」など、様々な種類のラーメンが大ブームに
◎明治中期: 支那そば → 伝わった当初は鶏がらベースの塩味だったが、日本人の好みに合わせ、醤油ベースになる
◎戦後: 中華そば △大衆食堂や蕎麦屋で提供されることがほとんどだったため「日本蕎麦」と区別するための呼称
△「夜鷹(夜鳴き)蕎麦」の中国風、ということで、大陸からの引揚者などの引く屋台での呼称から
△中国から「支那」の言葉使用への自粛要請もあり
「サッポロ一番 味噌支那そば」や「チキン中華そば」「昔ながらのラーメン」は何がおかしい?
- 「味噌支那そば」: 札幌のご当地ラーメンとして味噌味のものができたのは「支那そば」の伝わった時代よりずっと後。
- 「チキン中華そば」: カタカナ表記「ラーメン」の生みの親、日清食品さんに失礼です! チキンラーメンががあったからこそかつての「支那そば」「中華そば」「ラーメン」の流れができたのです。
- 「昔ながらのラーメン」: 実際には後に続くのは「中華そば」ですが「支那そば」でも許せます。が、ここまでの流れを知ると「ラーメン」が「昔ながら」とか言うと……何となくウソ臭く感じてしまいます。
どうやって呼び分けられてる?
- お店の屋号の場合
→ そのお店のオープン当時普及していた呼び名をそのまま屋号に「支那そば○○」や「中華そば△△」など
→ 店主の思い出のラーメンの味を、時代は関係なく屋号に
→ 語呂の問題
➡ 要するに自由。経営者のセンスです。
- 個人の場合
→ 思い出のラーメンの、当時の呼び名で…… などなど
➡ お好みでどうぞ!
「ラーメン」は本当に「日本の食文化」?!
本当ですよ!現在海外などで高く評価を受けている「ラーメン」はちゃんと「日本食」として認められています。
確かに「ラーメン」の始まりは中国から伝わった「南京そば」。
ですが、その中国や台湾などでさえ、日本のラーメンはブームになっているのです。
実際、日本のラーメンを中国では「日式拉麺(面)」や「日本拉麺(面)」と呼び、自国のラーメンとは別物として扱っています。
幾多の改良を重ね日本人の好みに合った味付け、地域ごとの特徴などを出し、麺と具材とスープ、すべてに気を配り作られる「日本のラーメン」は本場の方が食べても美味しいのですね!
「ラーメン」は日本の誇る食文化の一つです!!
終わりに……
飲んだ後のシメにはやっぱラーメン最高! とのん気に思っていましたが「ラーメン」って、結構奥が深い……長い歴史があったのですねぇ。お腹が減ってきました。「ラーメン・中華そば・支那そば」、どの名前で呼んでも美味しいものは美味しいのですが、かつてその味に感動した「ラーメン的なもの」は何と呼ばれていたか、と振り返ってみると、その当時の思い出まで甦ってきそうですね。いいスパイスになり、さらにおいしく食べることができそうです。
現在でも「中華そば屋」「支那そば屋」を名乗るお店はたくさんあります。
「ラーメン」でも「中華そば」でも「支那そば」でもいいのです! 美味しい一杯に巡り合えますよう、皆さまと「ラーメン的なもの」との美味しい出会いを願っております!!
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