神父の前で結婚を誓う新婦。
……もしかして、こういうややこしいことにならないように「牧師」さんって生まれたの? ん? じゃ「司祭」って、何と間違われやすくて生まれた職業?
……それ、教会の近くで絶対口にしないでくださいね。特に、私と一緒にいる時は本当にやめてください……
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だけど、なんでこんなに呼び方が分かれてるの?
「神父」と「牧師」はよく聞くけど「司祭」って何?
決められた制服みたいなのってあるの?
どっちも日本じゃマイナーじゃない? 本場では何て呼ばれてるの?
などなど「神父・牧師・司祭」について、服装や英語での呼び方等含めまして解説いたします。
結婚式は絶対教会で! の方も、最近はやりの神前結婚も捨てがたい、いや、まずは相手探そう、の方も、皆さまのスッキリのお役に、少しでも立てましたら幸いです!
目次
「神父・牧師・司祭」の違いはココ
お寺にはご住職(お坊さん = 僧侶)、神社には神主さん、そしてキリスト教会で、その役割に当たるのが「神父・牧師・司祭」さんです。問題は、なぜ複数の呼び名が存在しているのか、ですね。
キリスト教にはいくつもの教派(同じ宗教の中で分派したもの)があるから、なのです。
その教派ごとに、そこで教えを説く役割等を持つ方への呼び方が変わるのです。
大きく分けますと、キリスト教には「カトリック」と「プロテスタント」があり、
- カトリック教会では: 神父
- プロテスタント教会では: 牧師
あれ?「司祭」は? どこ?
ここです!
「司祭」とは「神父」のもう一つの呼び名。
実は「司祭」とは「職名」です。職名に「様」などをつけて呼ぶことはありませんね。
「先生様」「課長様」……ヘンだ……
そこで「神父様」と呼ぶのですね。
つまり「神父」とは「司祭」の呼称、敬意を込めて呼ぶ際の尊称となります。「田中先生」「山田課長」のようなものです(大雑把に言えば、です)。
そして「神父」の職名ですので、プロテスタント教会の牧師さんは「司祭」とは呼ばれません。
- カトリック教会に属す: 神父
→ その「神父」の職名: 司祭 - プロテスタント教会に属す: 牧師
→ その「牧師」の職名: 牧師
あれあれ?「牧師」って職名なの? じゃあ「牧師様」って呼んだら「課長様」みたいなおかしなことになるの?
ならないのです。
ではまず「牧師」様のいる「プロテスタント」についての歴史もさらりと振り返りつつ「牧師」「神父」の違いから見ていってみましょう。
「牧師」とは?「神父」とはどこが違う?
プロテスタント教会の「教職者(教派共通語では『教役者』)」である「牧師」。対して「神父」はカトリック教会の「聖職者」となります。
「教職者」と「聖職者」、ここでも違いが出てきました。
「教職」とは、簡単に言えば「先生」です。学校の先生の職業も「教職」と呼ばれますね。
一方の「聖職」は「神聖な職務」を指します。
扱われ方の差が、結構酷いような気がします。「牧師」は「神聖な職務」ではないかのような言われようです。
ですが、これは「プロテスタント」が、自ら選んだこと。教えの違いによる差なのです。
さて「プロテスタント」のその教えの根底にあるものとは「万人祭司」と呼ばれる主義。
これは「牧師も一般信徒も、キリストに関わっている意味ではみな同じ立場だ」といった考えです。
ただし、それでは入信を受け付けたり、冠婚葬祭などの儀式や教会の運営等をする人がいなくなってしまうため「みんなと立場は一緒だけど、リーダー的なことを引き受けるよ。リーダーだから、信仰の指導もちゃんとやるよ」といった形の信者代表として「牧師」、とされているのです。
では「カトリック」、「神父」とはどのような位置にあるのか?
「神聖な職務」、つまり日常的なものから区別され清浄で穢れのない、聖務に献身する者、といった立場であるカトリック教会の聖職者には、そのための厳しい戒律があり、また序列もしっかりと決められています。
カトリック教会では「教皇」を最高位とし、次に「枢機卿(すうききょう)」「大司教」「司教」「司祭」「助祭」と続きます。
この「司祭」がつまりは「神父」の階級(階位)なのです。
ですが、一般信者にとって「司教」は、あまり身近ではない存在。それほど顔を合わす機会がないのですね。
一般信者のそばにいるのは「信者の身近で奉仕する聖職者」として、司教に任命される「司祭」。神父です。
ミサや洗礼、堅信(洗礼を受けた後、聖霊からの頂き物により信仰を強める秘跡のこと)、聖体(キリストの体としてのパンと葡萄酒)を授けるなどの儀式を行います。
聖職者として、一般信徒を統括する立場で一線を画すため「牧師」のように「皆と同じ立場」という形はとりません。一段上、といった存在ですね。
特別に清められた存在の「聖職者」なので、「司祭」以上の階級に属している場合には「生涯独身」を通します。
逆に「牧師」は「特別な奉仕職」ではなく一般信徒と立場上変わらない、とされているため、結婚は問題なし。子育てや育児に対しても、より近い立場での共感ができる、むしろ利点とされているのです。
また、カトリックのような階級などの序列、厳しい戒律等もありません。
「牧師」の執り行うことなど、形としては「神父」とほぼ変わりなし。
ですので役割的に見れば「牧師」も「司祭」と同じです。
では、なぜこのような違いが出てくるのか?
ここには「プロテスタント誕生」の場面が深くかかわってくるのです。
では、少しだけキリスト教の歴史を振り返ってみましょう。
★キリスト教の歴史をざっくりと
「神父」の属すカトリックも「牧師」のいるプロテスタントも「キリスト教」。イエス・キリストの教えを基とする宗教です。
ですが彼は「キリスト教」という新しい宗教を作ろうとしたわけではなく、あくまでユダヤ教徒として、その「ユダヤ教」のおかしな点を指摘し、正そうとしただけなのです。戒律に文字通り従うのではなく、旧約聖書(ユダヤ教の聖典)の精神を忘れず行動することこそが大事なのだ、といった考えで布教活動に当たったのですね。
イエスが生まれた紀元前4世紀ごろのパレスチナ地方(ユダヤ人が住んでいた地域)は、古代ローマ帝国の支配下にありました。
当時のユダヤ教は、戒律も非常に厳しくきついもの。ですが戒律を守ることが神との約束であり、守らなければ救われないとされていました。また、病気をすることさえも神からの罰。
さらにユダヤ人には重い税金も課せられます(ローマの支配下にあったから)。
そんな中、イエスは先ほどの考えに則っり、様々な布教活動を行っていきます。イエス自身もユダヤ人。厳しい戒律や重税に苦しむユダヤの人から見れば、まさに待ち望んでいた救世主のような存在となり、支持を集めていくのですね。
ですが、それは同時にローマ人支配者やユダヤ律法主義者(旧約聖書本来の精神ではなく条文にのみ拘る、ユダヤ教の指導者たち)などにとっては面白くないもの。イエスについて、悪いデマなどを流したり、罠をかけたりと、必死になります。
逃げ回りながらも布教活動を続けていくイエスですが、やはりついには捉えられてしまうのですね。
が、ユダヤ教の戒律は破ったものの、犯罪者ではないイエス。でも、ユダヤ教の指導者たちは、なんとか処刑してしまいたい。そこで「イエスはユダヤの王を名乗っている。だからローマに対する反逆者だ」ということにされ、それを受けたローマ総督により十字架刑に処されるのです。そして、その3日後に復活。
実際には葬られていた墓からイエスの亡骸が消えていたことまでが、おそらく、事実の部分。
ですが、その話を聞き「イエスは復活した」と考える人たちが増え「彼こそが旧約聖書で予言されていた『救世主』なのだ」とする教会が誕生します。
「救世主 = キリスト(ヘブライ語『メシア』の訳『クリストス』)」。これが「キリスト教」の始まりです。
(※「新約聖書」とは、キリスト教の聖典の一つ。キリストの生涯と復活、弟子たちの伝道など「キリストを仲介とした神と民との新しい契約の書」とされています)
こうして4世紀の初めにはローマ帝国で公認の宗教とされ、のちにキリスト教は、ついに国教になります。
しかしそうなってしまうと、本末転倒。
元々は「ユダヤ教」であり、その戒律の厳しさ、それを守ることばかりに囚われすぎた考えを正そうとして生まれた「キリスト教」が、今度は国家と密接な関係を持った組織のようになってしまうのです。自由な信仰の理念が損なわれていくのですね。
4世紀末になると、ローマ帝国は東西に分裂します。
キリスト教会も東西に分かれることとなり、西方教会が現在の「ローマ・カトリック教会」。前述の「カトリック」で挙げた特徴を持ちます。
一方の東方教会では、若干異なる独自の経典、典礼、修道の伝統を守りつつ、現在でも「ギリシア・ロシア正教会」として存続しています。
そして、ついに16世紀。宗教改革が起こるのです。
これは上記の西方でのこと。
ルターやカルヴァンの登場です。
現行のローマ・カトリックの宗教支配に異議を唱え、本来の「信仰のみ」「聖書のみ」の主張を掲げ改革を起こし、そこで生まれたのが「プロテスタント(抗議の意味)教会」。
その後プロテスタント教会では、多くの教派が生れ、現在に至ることとなります。
イエスの「ユダヤ教」の偏った考えを改めるため起こした行為と、ルターたちの起こした「宗教改革」は似ていますね。
どちらも「戒律じゃないんだ。大事なのは聖書に沿った、その精神なんだ」のようなことを旗印としたのです。
そしてカトリック教会での「霊的・精神的な父」といった意味のある「神父」の代わりに用いられたのが「牧師」です。
「牧師」とは「羊飼い」のこと。
イエス自身が自分を「牧者」と呼び、特別な存在としてではなく一般信者と近い立場で導いたことから「師」をつけた「牧師」、つまり「一般信徒と同じ立場だけど、先生役的なことくらいはやります」といった名称が生まれたのです。
「プロテスタント」とは、当時の「ローマ・カトリック」の教えや制度への抗議(否定)から誕生した教派です。
「階級を作らない、偶像崇拝はしない、マリアを人として見る、聖書の細かい解釈は個人で考える」など、「牧師」と「神父」の違いとは、このような職業に関する捉え方、また戒律、階級、権限や地位に対する考えの違いによるものなのです。
宗教改革を境に2つに分かれた「カトリック」「プロテスタント」。
「カトリック」では「イエスキリストを信じることのみによって救われる」とされ、一方の「プロテスタント」の教えでは「聖書の言葉のみ」が信仰の対象とされています。
この違いにより、カトリック教会で用いられる十字架には「磔にされたイエス・キリスト」の姿があり、プロテスタント教会でのものにはキリストの姿はありません。
また、教会の装飾が豪華なのも「カトリック」の方です。プロテスタント教会に属す「牧師」は「教職者」。「万人祭司」の精神からも、一般信徒との区別がなされてないため、教会もいたってシンプルなものとなっています。
さて、当時のカトリックの制度等を否定して生まれた「プロテスタントの牧師」と、元々あった「カトリックの神父」での服装の違いは?
ここまで違う宗派なので、当然違ったものとなってきます。
では、続いてはその「服装の違い」を比べてみましょう。
「神父」と「牧師」の服装の違い
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◎神父
- 普段着: キャソック(フランス語では『スターン』)
→ 一般に立ち襟でくるぶしまで覆う飾りのない黒い衣装が基本。白い詰襟状のものを着けます。それより細見でピッタリとした印象を受けますが、シスターの服装を想像してみるとわかりやすいかもしれません。普段着るものなので、前開きでボタンがたくさんついているのも特徴的。この数には教義的な意味があり、33個であることが多いようです。 - 儀礼時: キャソック ~ アルバ ~ ストラ ~ カズラ など
→「アルバ」とはやはりくるぶしまである白い衣装です。これを先ほどの「キャソック」の上にはおり、そのアルバの上にさらに羽織るものは儀礼等の場面により変わります。例えばストール様の「ストラ」、マントのように羽織るものは「カズラ」と呼ばれます。 - 普段着: シャツにスーツ
→ 白い詰襟のシャツは「神父」と似ていますが、基本スーツ。 - 普段の礼拝: 黒いガウンを羽織るのが一般的
→ プロテスタント教会には多数の教派があるので、それぞれに若干の違いがありますが、宗教革命の指導者であるルターやカルヴァンが大学教授だったことから、アカデミックなガウン着用が主流。海外の卒業式でよく着られるようなガウンですね。 - 聖餐式等: 黒い式服 ~ サープレス
→ 白いリネンか絹でできたゆったりとした膝丈の上着を羽織るのが一般的
(※上記のものが一般的ではありますが、基本私服で良し、とされています)
◎牧師
カトリックは単一教派のため、決まり事もほぼ統一されていますが、プロテスタントの教派は数多く、また、教えの面からも、それほどきっちりとしたルールなどは決められていないのですね。
「司祭」とは?
これは初めの方に書いた通り「神父」の「役職名」。キリスト教(カトリック)の聖職の一つとしての呼び名です。
ローマ・カトリック教会では「司教」の下の階位。ギリシア正教、聖公会では「主教」の下位に当たります。
ギリシア正教? また、なんか違うの出てきた?
★キリスト教会の流れ
ちょっと、ごっちゃになってきました。初代教会が誕生してからの流れは、以下のようになります。
- 初代教会誕生 → ローマ帝国が東西に分裂(4世紀初め)→ 教会も東西に分かれる → 東「(東方)正教会(ギリシア正教)」と西「カトリック教会(ローマ・カトリック)」 → 「正教会」と「カトリック」の流れをくむ「東方典礼カトリック教会(エジプト、エチオピア、イラク、シリア、アルメニア、インド等にまたがる)」誕生 → 宗教改革が起こる(16世紀)→ カトリック教会から分裂 →「プロテスタント諸教会(現在宗派は『聖公会』や『ルーテル教会』など 250以上。)」
そして、中でも「司祭」がいるのは「カトリック教会」「正教会(東方諸教会)」、プロテスタント系では「聖公会」や「ルーテル教会」となります。
「神父・牧師・司祭」はこんなに違う!
もともとの「キリスト教会」とも言える「カトリック教会」。宗教改革により生まれた宗派「プロテスタント教会」。
宗派の違い、というより、考え方の違いですね。それにより、様々な異なる部分が生じてきているのです。
さてさて、ではここで、もう一度それぞれの違いをまとめていってみましょう!
宗派の違いと呼び名の違いは?
- 神父: カトリック教会・正教会(東方諸教会)
- 牧師: プロテスタント諸教会
- 司祭:「神父」の職名
- 牧師:「牧師」の職名でもあり
彼らの職業は?
- 神父(司祭): 聖職者
- 牧師: 教職(教役)者
立ち位置は?
- 神父(司祭): 日常的なものから切り離された、神に献げる「神聖な職務」。一般信徒よりも一段上で、彼らを指導します。
- 牧師: イエスがそうであったように「牧者(羊飼い)」として、一般信徒と同じ、近い立場にいます。教会の運営などは引き受けます。また、一応リーダーとして、入信や礼拝などの儀式は執り行うので、よろしくお願いします。
それぞれのモットーは?
- 神父 / 司祭(の属すカトリック): イエス・キリストを信じることによってのみ救われます
- 牧師(の属すプロテスタント): 信仰の対象とするのは、聖書の言葉のみです
服装や教会の特徴は?
- 神父 / 司祭(の属すカトリック): 体をすっぽり覆う黒い衣装が平時の服装。儀礼の際には、その上に飾り衣装を羽織り、ストールやマントも着用します。教会も豪華です。
- 牧師: どちらもシンプル。白い立ち襟のシャツにスーツ、というのが普段着の定番。礼拝ではガウンやストールを着けることもあります。聖餐式では礼服の上に白い膝丈の上着を羽織ることも。ですが、基本私服。スーツが一般的ですが、特別な決まりはほとんどありません(キリストに関わっているという点では一般信徒と同じ立場である、という考え方のため)。
「司祭」は置かれず「万人祭司」の考えから「牧師」は呼称でもあり職名でもあります。
一方の「カトリック教会」では「神父」を日常から離され、神に献げる「神聖な職務」とするため、一般信徒より一段高い位置に置きます。
よって戒律も厳しく「教皇」を最高位とし「司教」の下位に「司祭」を置き序列についてもしっかりと定められているのですね。
ですが日本人のキリスト教信者はわずか1%ほど。
さて、本場では彼らは何と呼ばれているのか?
その英語表記はこちら。
英語での呼び名は?
- 神父: father
→「精神的・霊的な父」の意味 - 牧師: pastor
→「牧者」または「司祭」的な意味(「minister」と言う場合も。原義は「小さいもの → 召使」。「~に仕える・世話をす
る・聖職者の務めを果たす」の意味) - 司祭: priest
→ 初期教会での「プレスビェテロス(長老)」に由来
それ以外の違いは?
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◎女性はいる?
- 神父: いません
- 牧師: います(が、現段階ではあまり奨励されてはいない模様。反対意見の方が優勢なため、実際にはほとんどいません) ◎結婚できる?
- 神父:「司祭」以上は妻帯不可なので、できません
- 牧師: OK! 子育てや育児の悩みに共感できる、として、むしろ奨励されています ◎結婚式ができる教会は? 「プロテスタント教会」がほとんど。
つまり「牧師」さんです。「カトリック」は戒律などにより、不可となることが多いのです。そこで結婚式を挙げることができるのは、ほぼ「カトリック信者」のみ。ですが、信者ではないけれど、どうしても「カトリック教会での挙式」に拘りたいのであれば、お願いすれば絶対に不可能なことではありません。ただし、もの凄く許可を得るのに時間は掛かるかと思われます。
→ また、教会ではなく、ホテル等につくられた教会チックな場所で式を挙げる場合「アルバイト牧師さん(本当の牧師ではなく、牧師役を演じるアルバイトさん)」がやってくることが結構あります。
雰囲気を味わいたいのであれば、それで十分(もともと、信者でなければ)なのですが、気になる場合は事前に確認してみてくださいね。
終わりに……
♦天使にラブソングを2~オーハッピーディ(Oh Happy Day)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=1-F8ADKDJxw&w=560&h=315]国教にまでなった「キリスト教」。単純に「すごいなぁ」と思っていましたが、国が絡むと何かと面倒なことも起こるのですね。
そこで立ち上がる人たちがいて改革を起こし「神父」を「牧師」と捉える「プロテスタント教会」が新たに誕生。
始まりが改革なので、既存の制度や「司祭」のような序列を嫌い「教職者」として指導に当たる。
なるほどです。
こう考えると「神父」と「牧師」は全く別物なのですね(どちらがいいとか、正しいとかではなく)。
日本人にはあまり馴染みのない「キリスト教」。ですので「神父」「牧師」ともに実際にお目にかかったことのない方々の方が多いかもしれません。
ですが諸外国では「キリストの教え」というのは小さいことから身近に存在しているのですね。
さて、いかがでしたでしょう。
「神父・牧師・司祭」についての色々に、少しでもスッキリしていただけていましたら嬉しいです!
関連記事はこちらになります。
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