和歌の五句三十一音の詩型は、時代とともに変化し、和歌、短歌、俳句、川柳といった様々な詩が生まれました。
今回は、それぞれの詩のルーツと特徴をわかりやすくまとめました。
気になる違いを詳しく解説
和歌と短歌は、文字数や技法に通じるものがあります。そのなかで和歌は比較的作りが自由なのに対して、短歌は枕詞や掛詞などの技巧が必要になります。俳句と川柳は、ともに連歌が発展してできたもので、文字数も同じです。
俳句は、季語や切れ字を用いて、情景を言い切るのに対し、川柳は、技巧にとらわれず、感情や情景を率直に表します。
ほかに、和歌と短歌、俳句は書き言葉で書かれ、読んだ後の余韻が残るように作られるのに対し、川柳は、話し言葉で書かれ、読んだ後の余韻を残さずに言い切るつくりになっているのが、ほかの詩歌と異なっています。
その点から、和歌、短歌、俳句に対して、川柳は予備知識なしに誰でも楽しめる、気軽な詩歌といえます
和歌とは?
日本に古くから伝わる詩の形で、五,七,五、七,七,を基本とした型五句三十一音の文字で表現されてきました。中国の漢詩に関して奈良時代までに発生したもので、日本に伝わる古典韻文すべてを指します。
長歌、旋頭歌、短歌など様々な種類がありましたが、平安時代以降衰退して、事実上短歌のみとなりました。
奈良時代、大伴家持によって編集されたとされる「万葉集」が、現存する最古の和歌集で、天皇から、皇族、庶民と幅広い身分の人の歌った和歌が収められています。
その後も「新古今和歌集」や「新勅撰和歌集」など、天皇の命によって当時の和歌が集められましたが、室町時代以降、武士や僧侶が文学の担い手になり、和歌が衰え、連歌が盛んになりました。
短歌とは?
万葉の時代から人々に愛されてきた五,七,五、七,七,のリズムを持った叙情詩です。日本の歌のスタンダードでもあり、作者の感情や恋歌、社会風刺、などが表現されます。
短歌の特徴は枕詞と掛詞があります。
そのうち枕詞は、ある言葉を導き出すためにかぶせる修飾的な語句で、多くは五音で成り立っています。調べを整えたり、次の五句と意味を多用にして印象を強めたりする言葉です。
枕詞はふつう、訳されないので注意が必要です。
例:たらちねの~母
たらちねの 母が呼ぶ名を申さめど 道行く人を 誰としりてか
(万葉集 巻十二 3102 作者未詳)
訳:母が呼ぶ、私の名前をお教えしたいけれども、
通りすがりの人がだれかはわからないので(お教えできない)
たらちねの 母が呼ぶ名を申さめど 道行く人を 誰としりてか
(万葉集 巻十二 3102 作者未詳)
訳:母が呼ぶ、私の名前をお教えしたいけれども、
通りすがりの人がだれかはわからないので(お教えできない)
この「たらちね」とは「垂乳根」と変換され、年老いた母親を表します。この「たらちね」が文中の「母」にかかり、句の意味を強めています。
掛詞(かけことば)は、同音異議の言葉を使って、1つの言葉に2つの意味を持たせる修辞です。
例: 大江山 いく野の道の遠ければ まだ踏みも見ず 天橋立
(金葉集 雑上550 小式部内侍 60番)
訳:大江山を過ぎて、生野を行く道が遠いので、まだ天橋立にも行ったことがありません。 また(母からの)手紙をもらったことも
ありません
(金葉集 雑上550 小式部内侍 60番)
訳:大江山を過ぎて、生野を行く道が遠いので、まだ天橋立にも行ったことがありません。 また(母からの)手紙をもらったことも
ありません
この句の「いく野」は地名の「生野」と「行く」にかけられており、「踏み」は「踏み」と「文」を表しています。
この歌は、有名な女性歌人、和泉式部の娘の小式部内侍(こしきぶないし)の詠んだものです。
年若いのに、達者な歌をいくつも詠んだので、周りから「母親に文を出して、歌を代わりに作らせている」と噂されていました。
ある日、男性貴族に、そのことをからかわれたときに、即興で読んだのが、この歌です。
短歌の人気はそれ以降も衰えることなく、明治から戦前にかけて、正岡子規や、与謝野晶子などの優れた歌人を生みました。
現代でも、俵万智の「チョコレート記念日」など多くの歌集が作られています。
俳句とは?
俳句とは、季節を表す「季語」と、かな、けり、や、などの「切れ字」を用いて表現される五、七、五の詩歌です。俳句は、「俳諧の連歌」という庶民が歌う連歌が発展してできたもので、最初に五,七、五の発句を作り、次の人が七、七の下の句をつけ、さらにその下の句にまた五、七、五の句を付ける・・を繰り返し、三十六句~百句で1作品となります。
俳句とは、その発句が独立してつけられるようになったものです。
発句は、その意味を通じやすくするため「季語」が重要視され、「切れ字」で強く言い切ることが特徴です。
川柳とは?
季語や切れ字を使わず、ストレートに心情を表現する五、七、五の詩歌です。川柳の起源は、先に七、七の句を考えてから、五、七、五の句を付ける「付け句」という遊びから、付け句が独立したものです。
人間模様や社会風刺を題材にしたものも多く、時代を超えて親しまれています。
終わりに…
和歌は、室町時代以降衰退しましたが、基本の五、七、五、七、七は短歌に、その後俳句や川柳に形を変えて受け継がれています。これらの詩歌が、誕生から今日に至るまで人々に愛されているのは、原型となった和歌が完成されたものであり、その型に時代を超えてわれわれに訴えかける何かがあるのかもしれません。
短歌の歌人、俵万智が歌った「チョコレート記念日」にサラリーマンやシルバー世代の人々が書いた「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など、千年以上昔の人たちが生んだ歌のDNAは、現代を生きる私たちに確実に受け継がれています。
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